別府観光地を生んだ油屋熊八
油屋 熊八~別府観光の父
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」
このキャッチフレーズを刻んだ標柱を1925年に富士山山頂付近に建てています。
その他にも全国各地に建てています。
また、建設の予定がない場所に対しても「別府温泉 亀の井ホテル建設予定地」
の立て看板を立てて別府市内、大分県内、福岡、大阪、東京に立てて別府を宣伝。
1928年から日本初となります。バスガイドの案内で別府地獄巡りの運行開始。温泉マークを別府温泉のシンボルマークとして愛用。
油屋 熊八のおもてなし精神がすごかった
「旅人にはおもてなしの心で接しなさい」というキリスト教の聖書の中の言葉に大きな感銘を受ける。油屋 熊八の生き方の原点となります。
明治44年。熊八の婦人が亀の井旅館を経営していたことから別府に落ち着き別府旅館での生活をスタートします。熊八のサービス精神がここで、発揮されることとなります。
「お食事はいかがでしたか?」「女中やボーイに不行き届きはございませんでしたか?」などサービス改善をを怠らなかった。世界各国の大きな国旗を玄関前に揃え5人以上の外国人団体客が宿泊した時は、その国の国旗を挙げて歓迎しました。
ホテルのホールでは、ダンスパーティーが開かれお客さんを飽きさせない工夫をしました。1度でも泊まったお客さんには年賀状を出し泊まり客をとても大事にします。泊まり客だけでなく旅行業者や出入り業者、交通業者などに直筆で年賀状を書きます。
その数5,6万通、1日に百数十通!!!1年中暇さえあれば年賀状を書いていたんですよ。並々ならぬ熊八の別府愛💛油屋 熊八さん別府は今でも有名な観光地ですよ。こうして沢山のお客さんが、別府に遊びに来てくれて賑わっているのも油屋 熊八さんのおかげだったんですね。
別府の良さをまだまだ沢山の人に感じて欲しいですね。ブログを通じて別府のいろんな歴史と熊八さんの歴史になんだかジーンときました。熊八さんありがとう(´-`*)
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